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2005年4月より、LEO コラムを投稿開始します! LEOが帰国生と向き合って約20年。そのなかで培われた帰国生受験の全てをこのコラムで紹介します。
父の手術から思うこと

 今月初め、父が大手術を受けた。心臓の弁を2つ取り換えるというものだった。手術に先立ち、執刀医が手術前に行われた検査結果の説明をしてくれた。この先生だったら任せられると思える明確な説明と態度だった。人の命を救うことがこの人の天職であり、それに誇りを持っていることがよく伝わってきた。患者、その家族に対しての思い遣りも感じられた。

 実際の手術は、説明時に言われたように大手術だった。午前8時30分に手術室に入り、手術が終わったのは、午後8時だった。手術前に、麻酔をはじめ様々な処置があるので、実際にメスが入ったのは午前10時過ぎだったらしいが、それでも9時間半に及ぶ手術だった。家族控え室には、他の家族の方々もいらっしゃった。その中の一家族は、ちょうど私の父が手術室に入った直後に、お父さんが救急車で運ばれた方々だった。急性心筋梗塞という診断で、予断を許さぬ状況だった。こちらまで不安になってきた。

時間が刻々と過ぎていった。8時間はかかるかもしれないと言われていたが、午後6時を過ぎても何の知らせも無かった。家族の口数も少なくなった。先程の患者さんは、機械で心臓を動かしている状態ということだった。いろいろな所に連絡を取る準備をし始めた。長期戦になりそうなので、午後7時前に病院の食堂で急いで食事を摂り、また急いで控え室に戻った。午後8時過ぎに、先生が顔を出した。部屋を移し説明をしていただいた。長くかかったが成功だった。やや疲れた顔をしていたが、先日と同様に、手術の様子を明確に説明してくださった。ただただ感謝するばかりだった。

 その後、父は集中治療室で何日かを過ごし、先日一般病室に移ることができた。その間、看護士さんたちが献身的に世話を続けてくれている。その仕事は、精神的にも肉体的にもたいへんなものだが、みな笑顔で応対してくれる。人の命を救うことに対しての一生懸命さを感じさせられる。先生や看護士さんたちに頭が下がる。尊敬する。

 こんなことがあって、ここ数年ずっと気になっていることが、またあらためて頭を擡げてきた。毎日のように、新聞やテレビで「自爆テロにより30人死亡」、「山中に人の遺体」、「2歳の幼児が虐待され死亡」、とったニュースが報道されている。毎日、「死」という言葉を耳にしていると、「死」というものがどんどん軽いものになってしまう。「あ、またどこかで人が死んだのか」という感覚になってしまう。つまり、人の命の価値がどんどん軽薄なものになっている。身近に命を失う危険が迫らないと、その価値、尊さが分からなくなってきている。それどころか、自分の子供の命を絶つくらいだから、人の命とモノも変わらないという感覚の人種すら誕生している。

 テロリストの行為は絶対に許されるものではないが、なぜ、テロ行為が日常的に行われるようになってしまったのかも考えなくてはならない。現在の世界の仕組みを作り上げるのに主導的な役割を果たしてきた国や人たちは、その見返りとして、この混沌とした状況を生み出してしまったことを分かっているはずだ。なにもかも白黒をはっきりさせたがる国がある。自分たちの言い分が通らないと、力でそれを正当化しようとする。力にものをいわせ、大量の爆弾と銃弾でねじ伏せようとする。ねじ伏せられる側からすれば、それこそテロ行為そのものではないか。とにもかくにも、人の命をこんなにも軽々しく扱う権利が人間にあるのだろうか。ちょっと長いが、LEOでテキストに使う英文を紹介しよう。それは、現場に27年間勤め、死刑に断固として反対する人の説得力ある文章である(抜粋)。

Some of these people, in my opinion, may deserve to die for their crimes. But I have come to the conclusion that we, as a civilized society, should not kill them.

We should not because the death penalty fails the two tests against which any just sanction must be measured.

The first test is that the sanction must be in our public self?interest, which in this instance means that we protect our own lives by taking the life of another. In my profession, public protection is my primary responsibility. Therefore, if I had grounds for believing that the execution of convicted murderers saved the lives of innocent people, I would be obligated to endorse capital punishment.

But capital punishment does not protect. Few issues in criminal justice have seen as much research over the last 40 years as the deterrent impact of executions, and there is no issue I am aware of in which the balance of evidence weighs so heavily on the negative side. There is even the possibility that some murderers see execution as a martyrdom which will provide a dramatic end to a life of hatred for themselves and others.

It is sometimes said that even though an execution may not deter others, it at least prevents the freeing of the murderer in a few years to kill again. In Michigan, which has not executed anyone in nearly a century and a half, we have no record of any person commuted from a sentence of first-degree murder, who repeated that crime. First-degree murderers who do not die in prison serve an average of 25 years before release, and their record thereafter is exemplary. To argue that we need capital punishment for our own, safety will not stand scrutiny; life imprisonment is adequate for that purpose.

The second proper test of any penalty exacted by a civilized society is that it can be applied with assurance of justice and fairness. Capital punishment clearly fails this test as well.

It fails a test of social justice in that it has been disproportionately applied to minorities. This disturbing aspect of the death penalty application remains a problem even today. A recent study in our own state shows that both the race of the offender and the victim are factors in determining whether a person will be convicted of a first-degree murder or of a lesser crime. Research in other states has consistently shown a similar pattern of racial discrimination in assigning the death penalty

There also is the ever?present possibility??and over time the certainty??of the ultimate injustice: the socially approved execution of a person who happens to be innocent. Despite all judicial safeguards, some persons serving prison terms for murder in the first degree have been subsequently found to have been wrongfully convicted. At that point a prison term can at least be abridged, but a life cannot be restored.

さらに、彼は続けてこう述べる。

I am convinced capital punishment fails all proper criteria of an effective and just response to homicide. But there is yet a strong reason why we, as civilized people, should not kill even the most hateful and undeserving of criminals. That is the brutalizing effect which the death penalty has on the public which imposes it. Deliberate, unnecessary killing cheapens the value of human life.

Once we recognize that the death penalty is neither a just nor effective response to murder, then only vengeance is left. Several years ago, Canada’s Pierre Trudeau asked this question: “Are we so bankrupt as a society, so lacking in respect for ourselves, so lacking in hope for human betterment, so socially bankrupt that we are ready to accept vengeance as a penal philosophy?”

 彼が言うように、「故意の不必要な殺害は、人の命の価値を安っぽいものにしてしまう」のだ。あたかも、毎日「死」と言う言葉が氾濫し、その言葉を聞きなれてしまうと「人の命」の価値が軽いものになってしまうように。さらに、「死刑は殺人に対する正しく、効果的な対処ではなく、あとに残るのは復讐だけである」と述べているように、力ずくで抑えても、後に残るのは復讐心だけなのだ。そして新たに殺害が繰り返されると言う最悪のパターンだ。

最後に、カナダのPierre Trudeauの言葉に私たちは、真摯に耳を傾けるべきだろう。一文明人として、人の命を大切にしないことは恥ずべきことである。現在の社会は、あまりにも人の命を軽いものにしてはいないか。つまり文明社会はかなり破綻をきたしていないかを真剣に考えたい。一方で、人の命を救うために必死働いている人がいる。他方では、軽々しく人の命を、あたかもモノかのごとく奪ってしまう人がいる。人間は一人では生きていけない。みんなと協力し合って生きる社会を作っていかなくてはいけない。その中で生きていかなくてはいけない。自分の命、他者の命を尊んで生きていかねばならない。そうした信頼関係を築けない社会はさびしい社会だ。人の命を救う医師の真剣さ、患者の世話を献身的にしてくれる看護士たち。彼らを見ていると救われる。とてもうれしい。私たちの住む社会にこうした尊敬できる人たちが働いていることを忘れてはならない。私たちも人の命の価値を尊ばねばならない。少なくとも軽いものにしてはならない。そういう行為を許してはならないと思う。

Written by LEO Yoshizawa 05/07/12
「帰国後の英語」の逆説

 帰国後の英語保持や、英語力についてよく相談を受けます。滞在年数や、年齢にもよりますので、こうすればいいですよ、と一言では答えられません。

 ただ、一つ言える事があります。それは、滞在中にどれだけ英語を使っていたかということです。換言すると、滞在中にどれだけ向こうの学校に溶けこみ、生きた英語を身につけてきたかによるということです。

 現地校やインターで、友達をたくさん作り、楽しい学校生活を過ごして帰国した人は、小学生で帰国した場合でも、かなりいい英語を身に付けています。特に、小学校5,6年生での帰国の場合、努力次第ではキープするのも可能です。というより、その年齢でしたら、さらに英語力を上げることも可能です(オーラル以外)。

 英語をうまく保持でき、さらに向上させている人に共通して言えることは、本をよく読んでいることです。今までに出会った生徒の中で、小6の秋に素晴らしい英語を身に付けて帰国し、帰国後もさらに英語を伸ばした人がいます。その子は常にペーパーバックを持ち歩いていました。そして、英語の本で面白いものがあったら教えてくださいと尋ねてきました。英検やトーフルといった試験にも積極的にチャレンジしました。

 この子の場合は、将来、アメリカに帰りたいという強い思いがそうさせたのだと思います。つまり、アメリカ滞在を存分に楽しめたので、英語力も現地の子同様、あるいはそれ以上に付いたのです。また、帰国後も、自分を育ててくれたアメリカにまた戻りたいという強い思いが、英語力向上の努力に向かわせたのでしょう。

 いろいろな事情があるでしょうが、現地で友人を作ることができなかったり、付き合いが日本人グループのみだった場合は、本当の英語力が付いていませんので、英語を保持することは難しくなります。特に、日本人が多い地域に滞在した人、高学年になってから初めて海外に出た人などが苦労していると思います。また、当然、滞在期間が短かった場合は、英語が分かりかけたら帰国というケースもあるでしょう。

 そういう人でも、耳では英語が残っていますから、英語にできる限り接することを心がけるといいでしょう。もちろん、海外と同じ環境を期待することはできませんので、学習言語としての英語と割りきって勉強するのがいいと思います。一般の人でも避けて通れないところですし、将来のためでもありますから、文法などをきちんと学び、受験でいい点を取る、英検を準2級くらいからチャレンジするなど、何か目標を持って、徐々に英語力を上げていく努力をしてほしいと思います。もしかしたら英語が嫌いになってしまった人も、焦らずに一つずつ目標をクリアーしていくと、自信が持てるかもしれませんよ。

 英語を身に付けたり、英語力を保持・向上するという問題は、滞在国、海外に行った年齢等々により、理想通りにはいかないかもしれません。また、ネイティヴと同様の英語を身につけた人は、今度は、日本語で非常に苦労する事も多々あります(実際、帰国後、どうしても日本語を避けがちな人も多く見られます)。

 いずれにしても、語学に関しては、本を読む習慣が付いた人は強いということです。残念ながら、そういう人は少数派です。では、どうするかですが、一つは上手な動機付けが大切だと思います。大きな目標よりも、小さな目標を設定して、それがどうして大切なのかを理解して(理解させて)、その目標に向かって努力することです。子供が目標を達成できたら、大袈裟に褒めましょう。良い気分にさせて、次の、あとちょっと努力すれば達成できそうな目標を作ると良いでしょう。口で言うほど簡単ではありませんが、実践できている人もいますので、がんばってください。

 しかしながら、最大のポイントは、海外滞在中の過ごし方にあります。つまり、帰国後の英語力の問題は、帰国前にあったということです。それ抜きにこの問題を考えると、とても難しい、解決できない問題になってしまうのです。
Written by LEO Yoshizawa 05/05/06
「2005年度 受験を終えて」

 2005年度が終了しました。いつものごとく、あっという間でした。でも、受験生が一番そう感じてるでしょうね。

 嬉しいこと、残念なことがありました。嬉しいことの方が圧倒的に多かったですね。しかし、すべてがうまく行くとは限りません。

 一番嬉しかったのは、大学受験生25名中21名が第一志望校に合格したことです。これってすごいことですよね。こんな塾・予備校ってあるでしょうか。疑われてしまうかもしれませんね。そういう人は、合格実績ページを見てください。ほとんどの人が、早稲田・慶應・上智・ICUのいずれかに進学します。入学式が始まりますね。本当に早い(早すぎる)。

 どうしたら、こんな良い結果が生まれるのでしょう。もともと頭がいいんじゃないのとか、英語で入ったんでしょ、という声が聞こえてきそうですね。確かに、頭のいい人はいましたよ。英語がすごい人もいました。でも、そういう人がみんなうまく行くわけでもないのです。成功した人は、それなりの努力をしています(神様は見ています)。また、特にすごい才能の持ち主でなくても、トップ校に合格しますよ。努力の賜物という人もいます。こういう人たちは評価したいですね。そして、その努力は、これからも(大学生、社会人になっても)いろいろな形で出てくると思います。

 では、成功者に見られる点をいくつか紹介しましょう。

1. 自分を知る   
2. 長所を最大限に活かす(殺さない)
3. 正しい情報を早くつかむ    
4. 目標を設定する
5. やるべきことをやり、継続する


一つずつ見ていきましょう。

 1. LEOでは、現地校やインターナショナル校に在籍していた人が多いので、日本語が得意という人はあまりいません(苦手意識、不安を持っている人の方が多い)。クラブや学校行事に燃える人が多いのも特徴かもしれません。こういう状況ですので、センター試験のようにたくさんの科目を勉強しなければならない入試に向いているとはいえません。また、私大の3教科入試ですら、古文・漢文・地歴に関しては、かなり苦戦するでしょう。

まして、ほとんど全員がトップ校を目指します。そうした私大の国語や地歴は、一般生でも四苦八苦しているのです。それをやり切るのは並大抵なことではありませんし、英語での貯金をはたいてしまうケースの方が多く見られます。これが現実です。こうした状況にある自分をしっかり理解し、では、どういう受験方法があるのかと歩み出してみましょう。つまり、苦手科目は必要最小限で済ませるということです。

 2. 英語は、どんな入試方式でも受験科目です。これは願ってもないことでしょう。英語なら負けないという人も多いはずです。当然、英語を武器にすべきです。英語力には問題ないという人は、どんどん実践的な問題に当たって、常に高得点を取れるようにしておきましょう。(問題をたくさん解いてないと、自分が思ったような点を取れない人も結構いるのです。そういう人ほど、その原因を問題のせいにします。)まだ、努力が必要な人は、とにかく英語を鍛えて武器にしましょう。

 3. でも、英語だけでは受験できないでしょう。いいえ、英語のみで受験可能な大学(入試方式)もあります。ただ、たくさんあるわけではありません。ですから、正しい入試情報を早く入手しましょう。これを早い時期にやっておくことには、大きな意味があります。受験勉強を良い形でスタートすることができるのです。ここを疎かにしていると、間違った選択・スタートをしてしまう恐れがありますし、そういう人はたくさんいます。LEOは正しい情報を提供できます。これはとても重要ですぞ。

 4. 入試事情が分かってきたら、早めに目標を設定しましょう。志望校を決定できれば、それが最高の目標です。それが決まると、いろいろな小さい目標もできます。例えば、夏までにトーフルや英検でいい結果を出そうという目標を立てる人もいるでしょう。また、どうしても受験に日本語小論文が必要だから、これを早めに始めておこうと決める人もいるでしょう(これは賢いのです。仕上がるまでに時間がかかるものを後回しにしておくとものになりません。いやでも早く始めるべきです)。10月から、AO入試等が始まるから、それまでに必要科目を間に合わせようという目標も立つはずです。目標ができれば、そこにつながる道が見えてきます。そうした方が、絶対に勉強しやすいのです。

 5. 目標を設定したら、やるべきことをやりましょう。まだ、学校行事等が入りますので、きついこともあるでしょう。でも、必要最小限はがんばって継続しましょう。例えば、LEOの授業は休まない。単語テスト・感じテストは満点をねらう。うまくなくてもかまわないから小論文は提出する。返却されたものをリライトしてみる。たくさんの科目に手を出していなければ、がんばれるのではないでしょうか。

以上のことができた人が成功しています。目標を定めて自分に合った受験勉強を効率良くできた人の結果は素晴らしいものです(座談会に出席してくれた生徒の話は参考になると思いますよ)。苦手な日本語も継続してコツコツ勉強した人は、小論文が入った入試にも成功しました(一般生は小論文の勉強を始めるのがどうしても遅くなります。年明けてからの人もいますので、十分な練習ができているわけではないのです)。

 反面、上の5ポイントのいくつかが欠けた場合、失敗の確率が高くなります。賢く努力することが大切です。

 第一志望校に合格するためのアドバイス
1. 早く受験意識をもつ(これは当然ですね。第一歩です。)

2. 聞く耳を持つ(自分のイメージで、こうだと決め付けて受験勉強を始める人がいますが、それが良い選択であればいいのですが、そうでなかった場合、致命傷になりかねません。人の意見にも耳を傾けて冷静に考え判断しましょう。)

3. 少しは苦労しよう(英語で決めればいいやという人もいますが、日本語も逃げずにがんばってほしいですね。大学入学後に、小論文や現代文をやっていて良かったと言ってくれる人がいます。本当にそう思います。社会人になると一層それを感じることでしょう。また、日本語を勉強することで受験校も確実に増えます。例えば、慶應SFCなど、すばらしい大学にも挑戦できるのですから。この苦労は価値がありますよ。)

4. 継続は力なり(コメントをつける必要なし)

 2005年度も、とてもよい生徒たちに恵まれました。授業をやっていて楽しいことの方が多かったですね。テキストの題材探しや、添削、志望理由書作成補助などはかなり大変でしたが、一生懸命やってくれるのでがんばれたと思います。生徒たちに感謝したいですね。人数が少ないので、ほとんどの生徒をつかめましたし、対話もできました。みんなの成長を期待しています。

 2006年度がスタートしました。2005年度以上に生徒の力になりたいと思います。すでに春期講習も始まり、やる気のある生徒を見てこんな気になってます。

Written by LEO Yoshizawa 05/04/01